シューイチ『食べヨムツアー第6弾』で、アルコ&ピース平子さんに著書『今日もふたり、スキップで~結婚って ‶なんかいい″』をご紹介頂きました!
暮らしの一部が重なる

暮らしの一部が重なる

2017/11/29
日記

思えば、わたしたちは最初からスピード感に長けていた。

遠いところに住む、会ったことのない男性とひょんなことから連絡を取り始め、1ヶ月間文章と声だけの交流をした。
そして、知らない土地で「はじめまして」「ほんとうにはじめましてだね」「なんか変な感じ」「あはは」という会話から2時間でわたしたちの交際は始まった。

遠距離恋愛は初めてだったが、不思議と不安はなかった。
会いたくて会いたくて震える夜はたしかにあったし、その震えを止めるために奥歯を食いしばり粉々に砕けそうになったこともあった。
でも、(この先どうなるかわからないのに付き合ってる意味はあるんだろうか)とか(ほんとうは近場に本命の彼女がいるんじゃないか)とは一度も思わなかった。
遠く離れたところで勝手に暮らしながら、それぞれやるべきことをやり、それぞれやりたいことをやり、それぞれやりたくないことを文句を言いながらやった。

同じ時間のはずなのに、わたしの暮らすところは初雪が降り始め自転車のハンドルをつかむ手が悴む季節で、彼が暮らすところはそろそろ出かける時に上着が必要になってくる季節だった。
「大学卒業したらどうするの」
「結婚してくれるならそっち行ってもいいよ」
「結婚するからおいでよ」
「おっけー」
たった数秒間のそんな軽い会話で、わたしは関西移住を決めた。

知らない土地に住み始め、多くのことが変わったように見えて、なにも変わらなかった。
近くで暮らしてからも、遠くで暮らしていた頃と同じように、お互いがお互いの暮らしをした。
そして当たり前のように、結婚が決まった。
「そういえばわたしプロポーズされてないけど」
「結婚しよ」
「おっけー」
ほんの2秒のプロポーズだった。

初めて出会って2時間で交際開始、たった数秒で知らない土地への移住を決意、ほんの2秒のプロポーズ。
スピード感に長けているあまり、相応のガサツさも伴った。
準備が面倒だからという理由で式は挙げない、もちろん披露宴もしない。
一応両家の顔合わせだけはしたが、そこで結納をするかどうかを決める予定だったのに、和やか過ぎて参加者全員その話題を口にすることを忘れていた。
わたしの父は臍ヘルニアで脱腸していたし、わたしの彼は酔っ払って普通に寝ていた。
脱腸してる父が結納という言葉を口にしていたらわたしはきっと笑ってしまったと思う、だから父が結納のことを忘れていてくれてほんとうによかった。
婚約指輪はもったいないからいらない、結婚指輪の存在を忘れていて先日慌てて買いに行き入店5分で購入した。
そもそも、まだ同じ家で一緒に暮らしていない。
ありがたいことに、わたしたちのスピード感に疑問を抱く者も、わたしたちのガサツさに異議を唱える者も、誰一人としていなかった。

結婚することが決まってからも、わたしたちは相変わらず普通に暮らしている。
見たこと聞いたことの感想を口にし、それに対して自分の言葉で返す。
相手が興味を持ってくれていないだろうとわかっていながらも話したいことを話し、相手に自分が興味を持っていないことがバレているとわかっていながらも興味のある振りをして一応聞く。
しょっぱいパンと甘いパンを1つずつ選んだり、夜中にコンビニに行きたくなるのを相手のせいにしたり、毎晩どちらが窓際で寝るか話し合って決めたり。
外食をしたお店の料理がおいしければ「こんなお店を見つけるなんておれたちはとてもラッキーだ」と喜ぶし、おいしくなければ「このお店がおいしくないってわかってよかったね、ずっと楽しみにし続けなくて済んだ」と喜ぶ。
家でたくさんの品数の料理を作って食べれば「今日食べきれなくても保存しておけば明日から食べるものに困らなくて助かる」と喜び、品数が少なくて質素でも「土井善晴先生が食事は一汁一菜でよいと提案していたもんね」と喜ぶ。
なんてことはない、ごく普通の暮らしだ。

たぶん、わたしたちはこれからも普通に暮らす。
自分の暮らしと相手の暮らしがそれぞれあり、その暮らしどうしが少しだけ重なった状態でずっとずっと時間は進む。
無害で、穏やかで、なんのドラマもない暮らし。
あるところにおじいさんとおばあさんがいました、おじいさんとおばあさんはずっとずっと仲良く暮らしましたとさ、めでたしめでたし、みたいな。
わたしたちの結婚は、それぞれの自分の暮らしの一部となる。
ほんとうに、ただそれだけのこと。

では、これから市役所に婚姻届を出してきます。