中学生の頃、登校拒否を経験した。
別に壮絶なイジメを受けていたわけではなかったと思う。
自分の上靴は毎日ちゃんと下駄箱に入っていたし、教科書には授業中に書き込んだ文字以外書かれていなかったし、自分が鈍臭いという理由以外で怪我を負うこともなかった。
ただ、ずっと視界が曇っていて、心なしか呼吸が苦しかった。
授業中にブスだのキモイだのと指をさされて笑われるのも、仲良しのはずの友達が誰も「あんなん気にしなくていいよ」と言ってくれないのも、誰かを心から信用したら痛い目を見るのだろうとわかっている環境も、同じ日本人のはずなのに担任の先生と会話が成り立たないのも、ちょっとだけ嫌だった。
でも死のうだなんて思っていなかったし、絶望もしていなかった。
ずっとこんな生活が続くわけがないってことも、ちゃんとわかっていた。
ただなんとなく、学校を休もうかなと思った。
ある朝、わたしは母に「今日、学校行くのやめとく」と言った。
母は「ふーん、いいんじゃない?」と、驚くことも心配して理由を問い詰めることもせず了承した。
そして母は学校に電話をかけた。
「うちの娘、今日から登校拒否ですんで」
「あっ家庭訪問とかそういうのはいいです、めんどいし」
「理由は知りませんが本人が行きたくないと言ってるんで、ただそれだけですよ」
と、いつもよりワンオクターブ高い、よそ行き用の声色で事実だけを伝えていた。
学校への電話を終えた母はよそ行き用の声色を元に戻し、「これから仕事行ってくるから洗濯しといてね〜」と言い残して出掛けた。
その日から、わたしの登校拒否生活は始まった。
勉強もせず、誰とも会わず、ただ家の中でテレビを観たり漫画を読む毎日。
たまに母に言いつけられた家事をこなす以外は、好きに過ごしていた。
そんなわたしに対して、両親はなぜ学校に行きたくないのかと尋ねてこなかったし、わたしもなぜ学校に行きたくないのかわざわざ言わなかった。
両親にとっては、毎日決まった時間に学校行っていた娘が毎日決まった時間に学校に行かなくなった、ただそれだけ、そう捉えてるように感じた。
あまりにもあっけらかんとした態度に拍子抜けしてしまい、登校拒否するのも飽きてきたしなんとなく学校に行ってみようかなと思った。
登校拒否を始めてちょうど1週間経った日の朝、わたしは母に「今日から学校行く」と言った。
母は「ふーん、いいんじゃない?」と、驚くことも喜んで理由を問い詰めることもせず了承した。
なんとなく始めた登校拒否は、なんとなくで終わりを告げた。
大人になってから「わたしが登校拒否したとき、どう思った?心配した?」と母に聞いたことがある。
そして母はなんでもないという風に笑って答えた。
「別にどうも思わなかったよ」
「大人になってからだと逃げたくても逃げられない場面はいくらでもあるからね」
「逃げられる環境にいるんだから逃げたくなったら逃げたっていいんだよ」
「学校に行かなくても別に人生は何も変わらない」
「逃げたって人は死にゃーしない」
登校拒否をして何か変わったのかと言われたら、何も変わらなかったと思う。
事実、1週間ぶりに行った学校は、何も変わってなかった。
ずっと視界が曇っているのも、ちょっとだけ呼吸が苦しいのも、誰も心から信じちゃいけないことがわかりきっているのも、担任の先生と会話が成り立たないのも、なんとなく嫌なのも、なにもかも。
「逃げたって何も変わらない」という言葉は、ほんとうにその通りだと思う。
でもそれは、「逃げたって何も変わらないんだから逃げるのは良くない」という意味ではなくて、「逃げたって何も変わらないんだからたまには逃げるのも良いじゃない」という意味だと、実際に逃げてみて何も変わらなかったことを経験して、初めて知った。
逃げたっていいじゃない、だって何も変わらないんだから。