半年間、引きこもりの無職だった。
日中の活動は最小限なため体力は有り余り、夜になっても睡魔が訪れることはなく、インターネットと関西のローカル番組をぼーっと眺める毎日だった。
一人きりの部屋で日が昇るのを待つことがこんなにも苦痛だということを、わたしは初めて知った。
昼夜逆転生活を治すための睡眠導入剤によって前向性健忘と夢遊病に悩まされ、いっさい身なりを気にしなかったせいで徒歩20秒のところにあるコンビニの店員に締め切り前の漫画家と間違えられたりもした。
まともな精神状態じゃなかったと思う。
ほとんど誰にも会ってなかったくせに誰とも会いたくなかったし、突然大きなぬいぐるみが欲しくなる気持ちを抑えるために深夜に川を眺めに行ったりしていた。
愛について考えるなんてバカみたいなこともしていた。
そんなわたしが、1ヶ月前から社畜になった。
起きてすぐカーテンの隙間から射し込むわずかな明かりを頼りにファンデーションを顔に塗りたくり、朝8時前に家を出て満員とまでは言わないがそれなりに人が多くてそれなりに不快感を感じる程度の混み具合の電車に揺られて通勤する。
日中は太陽の光を浴びることなくすっからかんの愛想を誰彼構わず振りまき、両手が里芋掘り歴60年の職人並みに黒ずんだ手を洗う気力すらなくなった深夜0時頃に帰宅する。
疲れた体を引きずりながら彼氏の家になんとか辿り着くと、あり得ないぐらいダサいロックマンのトレーナーを着た彼氏が「かわいそうに…」と言いながら出迎えてくれる。
ほんとうにその通りだな〜と思いながら、次の日の仕事に備えて泥のように眠る。
たまに、自分の家にも帰る。
いつもは簡単にシャワーで済ませるが、どうしても湯船に浸かりたくて浴槽にお湯を溜めることがある。
お湯が溜まるまでの間、座椅子に座ったら一貫の終わり、そこから二度と立ち上がれなくなってしまうことはもうちゃんと学習していた。
空っぽの浴槽に裸で座り込み、膝を抱えてお湯が胸のあたりまで上がってくるのをじっと待つ。
考えなくちゃいけないことなんて何一つない。
どれくらいそうなっていたのかはわからないけれど、いつの間にかお湯は溢れ、洗い場どころか洗面所とトイレの床も水浸しになっていた。
清潔になった体を拭くために用意していたはずの清潔なバスタオルで、せめて下の階の住人に迷惑がかからなければいいだろうという程度に水分を吸収する。
素っ裸で四つん這いになりながら雑に掃除してるわたしを誰かが見ているわけではないけれど、どこからか「かわいそうに…」という声が聞こえた気がした。
ほんとうにその通りだな〜と思いながら、たぷたぷになったバスタオルを洗濯機に放り込んだ。
痣だらけの汚い脚を見ては「こんなはずじゃなかったのに…」と思う。
干からびたニンジンと鮭フレークしか入ってない冷蔵庫を開けては「こんなはずじゃなかったのに…」と思う。
テーブルの上で隣り合わせに並べられている中濃ソースと化粧水と灰皿と飲み終えたキレートレモンの空き瓶を視界に捉えては「こんなはずじゃなかったのに…」と思う。
無職の生活も、社畜の生活も、「かわいそうに…」と「こんなはずじゃなかったのに…」の連続だ。
でもどちらもそれなりに生活できているし、悲観することなんて何一つない。
走って逃げ出すための足も、大声で助けを求めるための喉も、次を引き寄せるための手も、わたしはちゃんと持ってる。
それらが機能していることも、わたしはちゃんと知ってる。
だからわたしは、大丈夫。